死刑でいいです --- 孤立が生んだ二つの殺人
第1に、母親を殺害し数年後に2人を殺害した加害者の経歴や行動を知るうえで、犯罪に関心を持つ人にとって有用である。よく取材してあり、感心した。
第2に、発達障害についていろいろと書いてあり、「発達障害を持つ大人の会」の活動の紹介もあり、発達障害の認識を広めることができると思われる。
第3に、この本は広汎性発達障害に過剰に反応し過ぎている。
加害者は、広汎性発達障害なのか、人格障害なのか、専門家の意見が分かれており、裁判での鑑定では人格障害だと判断されている。したがって、加害者が広汎性発達障害だとの断定はできないし、鑑定意見に従って「人格障害」と考えておくべきだろう。
しかし、この本では広汎性発達障害に関する論述が非常に多く、本来、「仮定」の議論のはずなのに、加害者が広汎性発達障害と関係がありそうな印象を与えてしまう。加害者が広汎性発達障害ではないとすれば、広汎性発達障害に関する記述はこの事件とは関係がないことになる。広汎性発達障害に関する認識を広める目的であれば、わざわざ凶悪事件と結びつけて書くべきではない。
もともと広汎性発達障害は犯罪とは関係ないのであり、ほとんどの人は事件を起こすことなく生活している。加害者が広汎性発達障害だと断定されていないのに、凶悪事件に関して広汎性発達障害について述べることは、「発達障害が事件と関係がありそうだ」という間違った印象を読者に与えるだろう。
仮に、鑑定書が述べるように加害者が人格障害者だとすれば、発達障害に関する記述は、いったい何のために書いてあるのか。
第4に、この事件を防止するにはどうすればよかったのか。
著者は、「精神面で障害のある人を孤立させてはいけない」と述べるが、これは発達障害を想定しており、人格障害に関してはほとんど研究がなされておらず、「お手上げ」というのが現状だろう。ほとんどの重大事件の加害者が社会から孤立しているのであり、「孤立」は発達障害者特有の問題ではない。著者は「発達障害があれば、孤立しやすい」と述べるが、発達障害があってもなくても、孤立しやすい人間は孤立する。人格障害者は孤立しやすく、日本やアメリカで人格障害者が増えている。アメリカでは人口の15パーセントに人格障害があるという見解があるくらいである。孤立を問題とするのであれば、発達障害者を問題とするのではなく、孤立しやすい人間を問題とすべきであり、ことさらに発達障害を問題とする必要はない。
また、「発達障害のあること」が孤立を招くのではなく、「日本の社会が孤立させやすい」ことが人間の孤立を招くのである。ユニセフの2007年の調査では、日本の子供の中で孤独を感じる者の割がは29.8パーセントであり、先進24か国中最低だった。オランダは2.9パーセントである。日本は他人と違った人間を受け入れにくい社会であり、個性的な人間が孤立しやすいのであって、「発達障害」だから孤立しやすいのではない。秋葉原の大量殺傷事件の加害者も社会から孤立していたが、今後、「○○障害」というレッテルが貼られるかもしれない。少なくとも、重大事件を起こすような人間は人格障害に分類される。しかし、それが犯罪の原因ではなく、「○○障害」にとらわれる考え方では、この種の事件を防止することはできないだろう。
犯罪は多様な要因から起きるのであり、発達障害や人格障害、行為障害が犯罪の原因ではない。万引を繰り返す少年は行為障害とされるが、行為障害があるから万引をするのではなく、万引を繰り返すような者を行為障害の1類型にしたのであり、「反社会的行動者」と言い換えてもよい。発達障害は生物的要因があるが、発達障害者で事件を起こす者もいれば事件を起こさない者もいる。その点は、発達障害のない者で事件を起こす者がいれば事件を起こさない者もいるのと同じである。つまり、犯罪との関係では、発達障害の有無は関係がない。
加害者のあまりにも劣悪な生育環境や人間関係のもとでは、偏った人格が形成され、些細な理由から事件が起きてもはおかしくない。歪んだ人格が形成された後に、例えば、「むしゃくしゃした」、「生きるのが嫌になった」、「何となく」などの理由から重大事件を起こすことは珍しくない。犯行の動機を聞かれても加害者自身が動機が「よくわからない」という事件もある。凶悪事件の加害者の多くが偏った生育環境で育っている。一見、「普通の子供」に見られる者が起こす凶悪事件についても、その生育過程を子細に見れば、相当に偏った生育環境がある。障害の有無は人格形成過程のひとつの事情でしかなく、障害について事件との関係でことさらに大きく取り上げても意味がない。かつてのブータンにはほとんど犯罪がなく、まして子供の凶悪事件は考えられない。発達障害者はブータンにも一定比率で存在するはずだから、発達障害の有無は犯罪とは関係ないことがわかる。人格障害者はアメリカに多く、ブータンに少ないのは、人格障害が生物的な原因によるものではなく、環境の産物だからである。
この事件を防止するために必要なことは、加害者のようなあまりにも劣悪な生育環境をなくすることと、犯罪の更生のシステムを確立することである。犯罪更生のシステムは対象者の個性に応じてプログラムを考えるべきであり、障害があればそれに応じて検討されるべきであるが、そこでは、障害は、人格や性格、趣向、癖、家族関係などと同じく、対象者の属性の一部に過ぎない。障害がなくても、例えば、「他人の影響を受けやすい」という個性の持主については、それに応じた慎重な更生プログラムや援助が必要であり、日本にそれが欠如していることが大きな問題なのである。人間の多くの属性の中で発達障害をことさらに取り上げるのは、「発達障害ー孤立ー犯罪」という図式的な思い込みがあると言われても仕方がない。
この事件は母親を殺した点で加害者の異常性が強調されやすいが、日本では親子間の殺傷事件は多く、親子間の殺人未遂事件や傷害事件のほとんどはマスコミ報道されない。また、複数の被害者の殺傷事件も日本では珍しくない。犯行の動機が解明できていない点が問題とされるが、そもそも、加害者の動機や感情が「わかる」ことができるのかということを再検討する必要がある。他人の動機や感情が「わかる」とは共感性であるが、ひとりひとり人間は異なるので、他人の行動をすべて理解できるとは限らない。異常な人間が増えれば、理解不能な行動も増える。
一般に、凶悪事件の動機を「理解」できれば、人々は安心し、理解できなければ社会不安を招く。「人を殺してみたかった」、「誰でもよかった」という事件では、加害者に「○○障害」というレッテルが付くと人々は安心する。ブータンで犯罪が少ないこととの対比で考えれば、事件を「加害者の異常性」や「障害」(人格障害や行為障害を含む)に解消させて安心するのではなく、この種の事件が珍しくない日本の社会の異常性にもっと不安を感じる必要がある。犯罪の防止のためには、個人の障害や人格のレベルを超えて、社会、政治、経済、教育、文化、思想など、より大きな視点から考える必要がある。
おひとりさまの幸せな死に方(エンディング) 孤立死、家族葬、納骨堂、イマドキのお葬式
エンディング関係の本ですと、葬儀や墓石、仏壇やお寺との関わり方など難しいように思えるし、
紹介している本も堅苦しい内容で見るのも興味がわかなかったりしていましたが、
イラストや漫画での説明やエッセイなので等身大で感じられ、とても分かりやすかったです。
『おひとりさま』となっていますが、生きている限り死は誰にでも平等に起こるものですし、
たとえ若くても病気や事故で起こりえる事なので、どなたにも参考となると思います。
私の母は私が30代前半の時に病死し、残された父はショックが凄く、
父が喪主として式や墓を建てることを取り仕切るのが少し困難な中、段取りなどの打ち合わせに同席していたのですが、
しっかりとした人が居ないと業者やお寺にどんどんと流されてしまうことを実感しました。
そのため自分の時は、周りの人が慌てないように自分の希望を具体化して分かるように告知したいと思っていたので、
どのような方法があるのかというのが具体的に書いてあり、とても参考になって良かったです。
父がなるべく立派な物をと立てたお墓も大きな仏壇も、無駄にならないようにしたいのですが、
あの大きな仏壇をいずれは自分の部屋に置くことになるのかと思うと、ちょっと…
こうなる前に父にも読ませておきたかったな…と思える本でした。
死ぬ事を考えるのは縁起が悪い事でも不吉な事でもなく、生きることを考える前向きな事だと思います。
自分らしく生きるために、自分のエンディングも自分で決めておいたり、
残された人に不安や迷惑をかけないようにしておくのも愛だと思いました。
孤立無援の花
人生において、このアルバムの重要性を何度感じたことやら。
ドバ〜!って泣いて、ドバ〜!って怒って、ドバ〜!って笑って、そんなオレの人生が詰まった一枚だなって。
このアルバムがあったから、辛いことも切り抜けることが出来た、そんなこともあった。
なんか煮え切らんもんとか、むしゃくしゃした時には絶対に聴くべきだと思う。
ホント、経験者は語るよ。
ただのうるさいだけの音楽じゃないものがある。
感受性が応答したそんな作品なんだよね。
ブルーハーツ程の共感性は無いかも知れないけど、響く人には何処までも深く響きまくるんじゃ〜ないかなって、うん。
漢語などの文学的な詞に、エモーショナルなサウンドがガッツリと乗って、しっかりと手を結んだ、ここからがイースタン節の始まりなのかも知れんなぁと。
何か訴えてくるものがわんさか迫ってくるんで、是非!
孤立の社会学: 無縁社会の処方箋
「重要なことを話したり、悩みを相談する人たち」を一人もあげていない人を
孤立者と定義し、調査した結果を分析している。
「離死別、無職、町村居住、低学歴、不健康、男性、高齢の人に孤立の傾向が見られたのである。」
が、「家計の状況や団体の加盟はあまり関連していない。(略)家族との同居/非同居は全く関連していない。」
そして既婚者の7割弱が情緒的サポートを受けている相手として配偶者をあげているが、
配偶者との関係が良い人はサポートを得られる傾向が強い。健康状態が良い人、経済状態の良い人、
高等教育を受けた人が配偶関係満足が高い。
そりゃそうだろうなあ、という結果である。
「今回の結果が、恒常的なものであれば、婚姻システムそのものの見直しを検討しなければならない。」と
きたもんだ。どう見直すのだろうか。そこは書いていない。
処方箋としては「家族を中心とした連帯を生かしつつ、そのようなシステムの漏れに対応する社会保障制度
を策定」すれば、だそうだ。居住地の移動の制限ありで地域関係を醸成する。
うーん。どういう人は移動できて誰が残らなきゃならないのかね。何も書いてない。
このまんまじゃ駄目なんだって、なのはわかるが、実際の政策にどう落とし込めるのかさっぱりわからん。
この本、いたって真面目な本だが、後書きで落ちがついていた。
本人はもうすぐ40歳になろうとしており、「単身生活を心地よいとは思わないので、さしあたり、
コンカツに精を出そうと考えている。」
未婚率を見ると2005年のデータで40〜44歳が22%、50歳が16%である。
次の本は愛する妻へ捧げていただきたい。
アリアンロッド・サガ・リプレイ・デスマーチ(3) 孤立無援の大ピンチ (富士見ドラゴン・ブック)
相変わらずの死の行軍。
PC達も上級クラスになり、戦闘がますます盛り上がります。
見所は
・ドランに隠された重要な秘密が明らかに
・ギィの師匠、登場
・ブレイクの某NPC、再登場
といった所でしょうか。
ドランの秘密は驚きました。詳細は伏せますが、下手すると大陸全土に影響が出る程の秘密です。
他リプレイでちょい役だった某NPCが登場することで、物語同士の繋がりを感じさせられたのも良い。
また、シナリオの重要NPCに読者投稿キャラが多用されているのも良いところ。
読者も物語に影響を与えていると知ることができ、投稿してないのに何だか嬉しくなりました。
キャラクターの背景が深まり、面白みを増していく本作品。
シリーズのファンにはもちろんオススメ。
また、戦記物が好きな方にも(リプレイを小説感覚で読めるならば)オススメです。