葵と楓025:三味線ブギウギ
葵と楓:三味線ブギウギ応援は! 左から,馬場 望(ばば のぞみ)・吉田 紋女(よしだ あやめ))・木村 唯(きむら ゆい) 日本音楽豆知識025 市丸(いちまる)(1906-1997年)は,昭和期の芸者歌手。本名:後藤 まつゑ(ごとう まつえ)。江戸小歌中村派17世家元。長野県松本市生まれ。16歳のとき,松本市の浅間温泉で半玉(芸者見習い)となる。客に求められた長唄を知らず悔しい思いをしたことがきっかけとなり,単身19歳で上京。浅草で芸者となり,清元・長唄・小唄それぞれで名取となるまでの精進を重ねた。美貌と美声を買われ人気芸者となった。 浅草区千束町生まれの藤本二三吉(1897-1976年)が『浪花小唄』『祇園小唄』などで知られるようになると,レコード各社は新たな芸者歌手の発掘に躍起となり,美声の評判の高かった市丸をビクターがスカウトする。昭和6年『花嫁東京』で歌手としてデビュー。静岡鉄道のコマーシャルソングとして作られ,既に新民謡として知られていた『ちゃっきり節』を市丸の歌で発売すると全国的な大ヒット。翌年の昭和7年に,片岡千恵蔵が主演した映画『旅は青空』の主題歌『青空恋し』を歌いヒットした。 昭和8年春,同じビクターの小唄勝太郎が『島の娘』『東京音頭』で国民的な人気歌手となる。昭和戦前期から戦後にかけて活躍した流行歌を歌う芸者兼歌手を,うぐいす芸者歌手(うぐいすげいしゃかしゅ)と呼ぶ。流行歌の世界にこの鶯歌手ブームが起こる。コロムビアの赤坂小梅・豆千代,ポリドールの新橋喜代三・浅草〆香,ニットーの美ち奴・日本橋きみ栄。市丸は,後輩に遅れを取らじと,長野県下高井郡日野村(現・中野市)出身中山晋平が,新民謡として作曲した『天龍下れば』を大ヒットに結びつけ,ビクターの看板歌手としての地位を確立した。 昭和10年前後 ...