「くらやみ祭り(1)」 五月晴れの鯉のぼり 2012
青空の中、そよ風に揺られて気持ちよさそうな鯉のぼり。 すばらし五月晴れの平成24年5月5日。武蔵の国の総社(大國魂神社)では「くらやみ祭」がクライマックスを迎えます。4月30日からつづく重要なご神事。暗闇に明かりを灯して、みんなの幸せを願うお祭りです。今年は自然も、子供たちも、大人も、大喜びでした。(4部作の一本目) 「くらやみ祭り 2012」 4部作(1) 五月晴れの鯉のぼりyoutu.be (2) 街に太鼓が鳴り響くyoutu.be (3) 御神馬も食事休みyoutu.be (4) 祭りの華はお神輿youtu.be
内山理名「お菓子の家は子どもの頃からの夢」
■アサヒ・コム動画 www.asahi.com 女優の内山理名さんが2日、東京・自由が丘で開催中のイベント「自由が丘スイーツフェスタ2010」に登場し、「お菓子の家」の除幕式を行った。 お菓子作りが趣味だという内山さんは「自由が丘スイーツ大使」に任命された。「自由が丘もスイーツも大好きなので、すごくうれしい。チーズケーキやシフォンケーキ、バナナケーキなど、人にあげる焼き菓子をよく作ります」 「お菓子の家は子どもの頃からの夢」という内山さんのカウントダウンで高さ2.3mのお菓子の家が駅前の特設ステージに姿を現すと、観衆からは「おー」と驚きの声が上がった。お菓子の家は、クッキーやマカロン、ドーナツなど1500個以上のスイーツが使われている。内山さんは「かわいい。おしゃれですね。さすが自由が丘のお菓子の家です」と感想を語った。 イベントは5日まで開催。小学生が描いたスイーツを自由が丘のスイーツ店が実際に製作する「自由が丘・夢スイーツコンテスト」やアーティストのライブなど、様々な企画が行われる。詳しくはwww.jiyugaoka.or.jp ※「Channel ASAHI」にアップロードされている動画の改ざんや、朝日新聞社の許可なく商用・営利目的で利用することを禁じます。
葵と楓025:三味線ブギウギ
葵と楓:三味線ブギウギ応援は! 左から,馬場 望(ばば のぞみ)・吉田 紋女(よしだ あやめ))・木村 唯(きむら ゆい) 日本音楽豆知識025 市丸(いちまる)(1906-1997年)は,昭和期の芸者歌手。本名:後藤 まつゑ(ごとう まつえ)。江戸小歌中村派17世家元。長野県松本市生まれ。16歳のとき,松本市の浅間温泉で半玉(芸者見習い)となる。客に求められた長唄を知らず悔しい思いをしたことがきっかけとなり,単身19歳で上京。浅草で芸者となり,清元・長唄・小唄それぞれで名取となるまでの精進を重ねた。美貌と美声を買われ人気芸者となった。 浅草区千束町生まれの藤本二三吉(1897-1976年)が『浪花小唄』『祇園小唄』などで知られるようになると,レコード各社は新たな芸者歌手の発掘に躍起となり,美声の評判の高かった市丸をビクターがスカウトする。昭和6年『花嫁東京』で歌手としてデビュー。静岡鉄道のコマーシャルソングとして作られ,既に新民謡として知られていた『ちゃっきり節』を市丸の歌で発売すると全国的な大ヒット。翌年の昭和7年に,片岡千恵蔵が主演した映画『旅は青空』の主題歌『青空恋し』を歌いヒットした。 昭和8年春,同じビクターの小唄勝太郎が『島の娘』『東京音頭』で国民的な人気歌手となる。昭和戦前期から戦後にかけて活躍した流行歌を歌う芸者兼歌手を,うぐいす芸者歌手(うぐいすげいしゃかしゅ)と呼ぶ。流行歌の世界にこの鶯歌手ブームが起こる。コロムビアの赤坂小梅・豆千代,ポリドールの新橋喜代三・浅草〆香,ニットーの美ち奴・日本橋きみ栄。市丸は,後輩に遅れを取らじと,長野県下高井郡日野村(現・中野市)出身中山晋平が,新民謡として作曲した『天龍下れば』を大ヒットに結びつけ,ビクターの看板歌手としての地位を確立した。 昭和10年前後 ...
紺碧の空
応援歌 「紺碧の空」 作詞・住 治男 作曲・古関 裕而一、 紺碧の空仰ぐ日輪光輝あまねき伝統の下すぐりし精鋭闘志はもえて理想の王座を占むる者我等早稲田 早稲田 覇者 覇者 早稲田二、 青春の時 望む栄光威力敵無き精華の誇り見よこの陣頭歓喜あふれて理想の王座を占むる者我等早稲田 早稲田 覇者 覇者 早稲田早稲田が勝利した時、早大生が集まった時、喜びを分かち合いながら肩を組んで歌う早稲田大学の第一応援歌です。 昭和初期、早稲田大学野球部は早慶戦で負け続け、また同時期に応援歌「若き血」を発表した事により更に勢いを増す慶應義塾大学に対し、低迷していました。この様なムードを打破する為に新たな応援歌を作成する事を決め、学内で歌詞の募集を行い、また作曲を古関祐而氏に依頼し「紺碧の空」が完成しました。完成した後には学生への披露に向け、応援部と古関祐而氏で何度も練習をし、昭和6年春の早慶戦で「紺碧の空」のデビューとなりました。早慶戦で発表されるや否や「紺碧の空」は当時低迷していた野球部を奮い立たせ、今までの不振を一気に挽回し一躍評判となり、今日では早大生の志気を高める第一応援歌として多くの早大生に誇りを持って様々な場面で歌われています。