志ん朝復活-色は匂へと散りぬるを り「品川心中」「抜け雀」
特にこのCDが、と云う訳ではないが、志ん朝師は正に落語と云う話芸が生み出した最終回答とも云うべき存在だった。師を語る時に、私は冷静ではいられない。
かつて桂文楽師(八代目)が、若かりしころの志ん朝師を評して「もし将来円朝を継ぐ人がいるとしたらこの人です」と云ったそうだが、至言であろう。栴檀は二葉より芳し、名人は名人を知るのだ。
師の生前、実演で「抜け雀」を聴いた。晩年の小さん師との二人会だった。八五歳になり、老残と云うしかない小さん師の「禁酒番屋」に比べ、志ん朝師の「抜け雀」がいかにいきいきと躍動していたか。名人交代劇を目の当たりにし、志ん朝師がいる限り落語は大丈夫だ、との思いを胸に帰宅した事を覚えている。
しかしその一年後に、小さん師よりも先に逝ってしまうとは・・・痛恨の極みとしか云い様がない。
かつて談志師が、「いつか俺たちが歳を取ったら文楽・志ん生を聴いたんだぞ、と自慢してやろうじゃないか」と云っていたそうだが、志ん朝師こそ、我々の世代唯一の名人であった。当代では比較を絶した孤高の存在だった。
師に六三年しか寿命をかさなかった天を、恨みたい。