アルハンブラの想い出/イエペス、ギター名曲集
通常2本指で頑張って弾く16分音符などの早い部分を、イエペスは3本指で簡単そうに奏でるという。このアルバムの音色はイエペスらしさが溢れている。使用楽器は、かのホセラミレスが第1号として制作した10弦ギターで、コンサートではピアノのような音が漂う。「禁じられた遊び」は映画での採用でイエペスをスターダムにのし上げたが、彼はコンサートでこの曲を期待されることに飽き飽きしているという。
アルバムの中で、目立たないがタレガの「ゆりかご」なども名演の一つで、これを真似ようとしてもなかなかこれに勝る演奏はできないと嘆くギタリストも多いらしい。
ただ「アルハンブラ」は演奏が早く粗い。村治佳織がこの曲には向いている。
禁じられた遊び [DVD]
壊れたと思い,1週間放置していたわがMAC愛機が復活した。
駄目だろうなと諦めつつ再試行したOSディスク立ち上げが成功し,しかもコンテンツも失われずに残っていた。
人生,たまにはよいこともある。
試しに500円で買ったDVD「禁じられた遊び」(ルネ・クレマン監督)を流している。
ホームセンターなどで売っているコピーライツ切れのDVDは安いのであまり文句は言えないが,音にも映像にもだいぶノイズが混じっている。
ヒッチコックの500円シリーズの保存状態はわりとよかったが,この1951年のフランス名画は,今二つか三つくらい。
哀愁あふれるナルシソ・イエペソのギターの旋律がたどたどしく割れている。
もっともそのためにかえって,ノイズィな画面とともに,戦火に荒れた村を記録したルポフィルムのような臨場感を醸すという副効果が生じている。
ミッシェルはどこで聖書の祈りを聞き覚えたのだろうか。
墓を作るという子どもの行為はいったい,
ただの遊びなのか,
看過ごされた子どもが心のざわめきを鎮めるために
誰に教わることもなく自ら習い覚えた,やむにやまれぬ聖なる儀式か。
死が日常であった時代。
死と生の境い目が曖昧に,切れ目なくつながっていた日々。
想像することは難しいが,人は相当に酷い環境にも馴れていく適応力を持っている。
感情を鈍らせ,狡猾さと偽りを恃みにして,生き残ろうとする。
しかし狡猾さや欺瞞や取引はあくまで方法であって,生き残らせる原動力は,
たぶん,わが身をかけて守ろうとする何ものかの存在だ。
極限状況の中でこそ,われわれは自分のためだけには生きられないことを知らされる−
画面に白い線が何度も横切る古ぼけたフィルムを久しぶりに見てそう感じた。
80分のDVDが終わるまで,わがPCは動き続けた。ほんとうに復活,かな?
禁じられた遊び [DVD] FRT-098
禁じられた遊び(トールケース) [DVD]
何故こんなにも美しい景色が流れるのだろう。何故こんなにも子供とは無邪気な生き物なのだろう。何故戦争はこんなにも無邪気な子供を犠牲にしてしまうのだろう。見る方の視点によって色んな解釈ができる作品だ。音楽、風景、庶民の家族のやりとり、すべてが美しいのだ。ルネ・クレマンは庶民をテーマに撮ることにかけては天才だったのかもしれない。主演のブリジッッド・フォッセーちゃんの自然体な演技は今もたくさんの人を泣かせる。子供は子供だ。戦争があろうと遊ぶのだ。自然にそうしているだけだ。この映画に関して語ることはなさそうだ。誰もがそれぞれの解釈で観ればいい。ラストがあまりにも切ない。音楽が秀逸。カンヌ映画祭でこの映画を上映中、ブリジッド・フォッセーちゃんが浜辺でずーっと一人で延々と砂遊びをしていたという伝説が残っている。なお、「ニュー・シネマ・パラダイス」で女の子の後年役を演じているのがこのブリジッドちゃんである。