断片的には見るべきところは多々あり、ツボを抑えてはいるものの、一本の映画としては、ヘンな映画としか言いようのない仕上がりであったと思う。かなり観る人を選ぶ映画だ。
ある意味で、楳図作品の映画化としては間違っていない出来栄えと言える。
楳図作品という曖昧な表現を使うのは、楳図恐怖マンガの世界からは、微妙にベクトルがズレているからだ。むしろ、『まことちゃん』のテイストを感じてしまう。だが、そうしたズレをしての楳図テイストなわけであるため、楳図作品の映画化としては間違っていないのである。
例えば、あらゆる意味で普通のヒトである村の有力者の次男が長男がつぶやきシローであるというだけで、美形の好青年に見えてしまったり、意地悪な美少女の全力疾走(これは、『ロングラブレター漂流教室』の関谷のパロディのつもりなのかもしれない)とか、石田未来の絶叫シーンの手の演技とか。「これはもしかしてギャグなのか?」と思わせる演出が味。
楳図マンガにおける、恐怖と苦痛以外は全く無表情なの登場人物たち、躍動感を感じさせない動きの描写、そして、主に悲鳴で使われるあの独特の書き文字、こうした楳図マンガのビジュアルな味わい(褒めているので為念)は、オーバーアクト気味のギャグ側に踏み出す演出でこそ、伝えることができると思われる。井口監督は、このズレの味わいを遺憾なく映像に塗り込められているのであった。
だが楳図マンガは、奇抜なアイデアとグロテスクを確かな画力で表現する一方、ストーリー面においては人間の弱さ醜さを徹底して描いているからこそ、ギャグともとれるズレが味わいとなっているわけである。
その点においては、観客の対象年齢を絞りきれなかったシナリオがちょっとなぁ。
下膨れで小太りでアクションが硬い猫目小僧については、CVの好演で原作のイメージ通りクールな子供に落ち着いていたので、不問に付す方向で(w。
道尾秀介というと「向日葵の〜」が強く印象に残っている。いい印象ではない。悪い印象だ。優れた技術を保持しながらアレはないだろう、というものである。 しかし、本作はその印象を鮮やかに払拭した! 流麗な文章、巧みな構成、心にほんの少しの温もりを残す読後感、文芸的ともとれる「光媒の花」は道尾秀介の多面性を垣間見れる作品だ。 あくまで大きな衝撃をもたらす小説ではない。やさしく──ふわりと蝶が手に舞い降りるように──光で包み込み、ほんの少し温かい、といった印象である。 また同時に、道尾秀介らしく闇も描かれている。その両者あってこそ、「光媒の花」であるのだろう。 手軽に読めるので、ハードカバーだからと肩を恐ばらせず、手に取ってみるといい。
自分の住んでいる家の近くに、こんなにも沢山の愛すべき山があるとは思っていませんでした。
どんなちいさな山にも名があり、道がある、ということを教えてくれた本でした。毎週この本と地形図を
片手に山歩きをしています。
6作の連作短編集。 途中からガラリと雰囲気が変わります。
前半、ダーク。重い。 後半、やさしい。ほんのり甘い。 後半3編はなんだかメレンゲを連想します。
深い深い穴の底に落とされてから、ふわっと掬いあげられる気分。 それでも私は前半3編の方が道尾氏らしさが出ている気がして好き。
まぁ、たまには後味のよい本もいいかも。
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