ロボットと人との境目は何か?ということを考えさせられた。
もしもロボットに「心」があったらどうなるだろう、そもそも「心」ってなんだ?というあたりに焦点が当てられていて、触発されて色々と考えさせられた。
自分の思考はともかく、話としてはかなり面白い。
中途半端な印象もあるが、連作だけあって、飽きがくる前にちゃんと終わる。作品ごとが独立しながらもリンクしていて、こういう連作が好きな人は多いだろうと思う。そして自分もこういう連作形式は好きなので、そこを評価したい。
全体的にまとまりがあって、クオリティが高い一冊と言えると思う。
ただ、あまり考え過ぎると、未来に希望が持てなくなる…(作品中の未来には希望があるようなないような…あるんだろうけど…)。
収録作は順に「魔法」「静かな恋の物語」「ロボ」「For a breath I tarry」「鶫とひばり(ひばりは旧字体漢字)」「光の栞」「希望」。
冒頭二篇「魔法」「静かな恋の物語」と読んでみた時点で「これは凄い」と思わされた。 そして「この人って、こんなに優れた(短編)SF作家だったっけ……?」と驚かされてしまった。 過去の幾つかの瀬名秀明の長編作品(デビュー作『パラサイト・イヴ』については後述するとして)例えば『BRAIN VALLEY』『八月の博物館』『デカルトの密室』等については科学とロマンチズム・叙情とエンターテイメントとしての配慮(?)が何やら混線して、特に後半「これは酷い」と思えもしていた。 しかし、かつての瀬名作品に対して僕の中に根強く合ったそうした反発なり残念は「魔法」「静かな恋の物語」の中にはまるで見出せなかった。
いや。確かに初出で読んでいた収録短篇「ロボ」「For a breath I tarry」「鶫とひばり」、そして何より表題作にもなった「希望」は大傑作だった。 ならば、僕の驚きは着実にその歩みを追って来た瀬名ファンからすれば「なにを今更」というものだったのだと思う。 この場を借りて、一読者として瀬名秀明さんとそのファンに失礼をお詫びしたい。
その上で以下、各小説についての感想。
「魔法」は充実した科学知識の積み上げと、時に批判もされてきた著者の色濃いロマンチズムが美しく結びついた傑作。 また、恋人たちが交わすあるカードを示す符号から「これがジャンルとして本○○○○○作品でもある」こともさりげなく示され、その面からみても素晴らしい短篇。
「静かな恋の物語」も同じく「科学+ロマンチズム」という一篇。 「魔法」があるジャンルにも属する作品だったのに対して、こちらは「○史○○○Fでもあること」に仕掛けと妙味があると思う。 この作品が「For a breath I taryy」と同じ本に収録されていることも、興味深くも美しいことと思える。
「ロボ」。この一篇への感想は複雑だ。 巻末の風野春樹さんの解説にもある「瀬名秀明とSFの間には、ちょっとした因縁がある」という話、特に『パラサイト・イヴ』に対する自分の反応を振り返らざるをえないから。
「「アーネスト・シートンも、一時期は擬人化が過ぎていると学者たちから厳しい批判を浴びたのでしたね」 彼は無言だった。言葉をつないだ。 「学者だけじゃない、狩猟仲間だった当時の大統領からも手厳しい批判を受けて、シートンは社会的な名声を、自然史家としての信用を急速に失い、ほとんど作家生命を絶たれたと評伝で読んだことがあります。彼は社会から離れてこつこつと地味な博物誌を書き続け、後年になってようやくその仕事は評価されたそうです」」(p131-132)
このくだりからは『パラサイト・イヴ』への負の反響が連想されてしまってならない。 『パラサイト・イヴ』を読んだ当時僕は「一人だけで本を読み、特にSFと意識せずSF小説も時折手にする読者」であったのだけれど。 あの「擬人化」と、当時あの本が「ちゃんとした研究者がちゃんとした学問成果を踏まえて書いた小説」という売り出し方が相まって「ただでさえ竹内久美子みたいなクソがのし歩いている中に……」と非常に強く反発し、その後数年に渡り「瀬名秀明」という作家の活動に関心を向けようとしなかった。今になって振り返れば、諸々考えさせられてしまうところはある。 とりわけ「ロボ」のその後の展開。とりわけ締め括りの「自然史家」の叫びと「ぼくたち」の疾駆を目にするとき。 稚く狭量な決め付けと自分の世界からの排除とを、恥らいと反省を以て振り返らずにはいられないと思いもする。
「鶫とひばり」については巻末解説が素晴らしい。付け加えられることなどなさそうだ。 ただ「(初出の)『サイエンス・イマジネーション』は一冊の本として大変に野心的かつ素晴らしい構成を持ち、優れた考察と小説が集まった良著だ」という推薦(「僕ごときが何を」とは思いつつ)はしておきたい。
「光の栞」と「希望」については、あまりにも美しく肯定的な「光の栞」がそこまでの流れを受け、いわば総決算のように現れた上で。 その直後かつ巻末という場において、大傑作にして解説においても「現時点での代表作」と評される「希望」の懐疑と強烈な批判が示される構成が凄まじい。 二作合わせて、短篇集『希望』におけるハイライトであると思う。 なお、「希望」については初出の『NOVA3』(2010/12)の時点で直ちに界隈で話題になっていた(と思う)作品でもあり、この一冊で気になった人は『NOVA3』の感想や評を探して読んでいくのも興味深いことだろうと思う。
僕の中で書評家、本の紹介者としての瀬名秀明の評価は以前からとても高く持っていたけれども。 この『希望』を読んでしまった以上、今後は小説家・瀬名秀明についても高い注目と期待を以て見ていかざるを得ないと思えた。
連作短編集『ハル』『第九の日』の存在がありながらも、「作者本人も本書を第一短篇集としたい意向」(巻末解説より)のだという。 新たに優れたSF短編作家としての顔を見せた瀬名秀明の第一歩として、実に力に満ちた一冊であると思う。
3・11から半年経って発行されたことにすら意味を感じてしまった。いろんな方の論考に触れることができて、日本のSFというものの再考を読むことができる。現場にある悲しみやつらさなどとは距離があると感じてしまうが、その距離感がSFからみた3・11なのかもしれない。「小松左京、最後のメッセージ」と謳われていたが、もっと大きな使命が刻まれていると読むことができると思いました。
『映画ドラえもん のび太の恐竜』〈1980〉から30年を迎え、現在でも春の公開映画としても定着した『映画ドラえもん』シリーズ。 今回、『映画ドラえもん』シリーズの名作とされる『映画ドラえもん のび太と鉄人兵団』〈1986〉のリメイクによる新作映画『映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団〜はばたけ 天使たち〜』〈2011〉の公開に合わせて出版されたドラえもんの大長編(映画)シリーズでは初めての小説である。
『鉄人兵団』といえば、私自身子供の頃にオリジナル版を映画館で観た記憶があり、それまで毎年春になると必ず映画(『のび太の宇宙開拓史』〜『のび太と竜の騎士』)を観に行っていた私にとって『のび太と鉄人兵団』は思い出深い作品でした。 それまでのドラえもん映画では、その時のメインゲストキャラと共闘して悪を倒すという図式だったのが本作ではメインゲストであるリルルが実は悪の手先という異例の展開であり、ドラえもんたちの敵となる存在であったリルルの最後の悲しい結末に何故か子供心にずっと引きずっていた記憶があります(エンディング曲『私が不思議』が涙を誘います)。
以前、ライムスターの宇多丸氏が『ザ・シネマハスラー』のコーナーで今回の映画について批評されており(本作の宇多丸氏の映画評は必聴です)、そこで初めて本書の存在を知り、そういった思い入れがある特別な作品であった事から今回小説を読んでみましたが、映画やコミックとは違う小説ならではの味わい深い印象が残りました。
著者の瀬名秀明氏(『パラサイト・イヴ』)も執筆するにあたって読者年齢を高め(14歳)にする事で他では見られる事がない、ドラえもんたちの緊迫した様子ややり取りが伝わり(特に非情な判断をするスネ夫の発言が『漂流教室』の大友くんと重なって見えた)、またドラえもんたちがいなくなった世界で大人たちが心配している様子が描かれているのが印象的でした。 新作について未見であるのでわからないが、本作では、『ドラえもん』や『パーマン』に登場した女優・星野スミレ(パーマン3号)や『エスパー魔美』に登場した歌手・任紀高志(『スランプ』より)といったサプライズゲストの登場も嬉しかった。
自分にとっても特別な思いのある『鉄人兵団』ですが、読後感としては、観終わった後のあの時の記憶の懐かしさがこみ上げてきました。
久しぶりに『私が不思議』を聴きながら、あの時の余韻に浸りたいと思います。
モーリス・ルブランの「ドロテ」が、何と日本人作家の手により三部作として復活!あの「ドロテ」の前日譚。ドロテの育ての親で矢張りドロテと云う女性が登場。ドロテ本編に登場していた四人の孤児のうち三人までは登場しているが、一番幼かったモンフォーコン隊長はおらず、代わって同じ名前の大人の男性が居る。おそらく、この男性が死ぬか何かして、後にドロテが拾った子供に、この名を付ける事になるのだろう。 本書はルパン外伝にもなっていて、ルブランの書いた本が、どこまで本当の事が書かれているのか判らない・・・と云う事になっている。そして本書は正に「虎の牙」事件が起きている真っ最中の話でもある。 イギリスから犯罪の専門家として招聘されたのが探偵のホームズではなく作家のG・K・チェスタトン(!)。亡くなる3年前の事か・・・チェスタトンと一緒に居るのはルパンシリーズでお馴染みのデマリオン警視総監。 ドロテの相手役の少年が連れている犬の名前がシャーロックなのがおかしい。 ルパンの娘である事を匂わされるドロテは本当は誰の娘なのか、そしてルパンの実像はどのようなものなのか、先が気に成る。
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