冬の星空のように厳しく、澄んだ精神を感じさせるレクイエムです。感傷的なところはみじんもなく、硬質かつ簡潔な表現で、力強く直截にモーツァルト晩年の未完の名作を描ききります。さすがにバッハの大家だったリヒターらしく、メロディーが絡み合う部分が、くっきりと浮かび上がっていて見事。ヴィブラートをおさえた女声合唱が美しいです。補筆部分はジュスマイヤー版によっています。
初めてチェンバロが収録されたCDを買った。 2枚組でお得。
大昔、吉田秀和全集に出会った時のような感動が再び起こりました。真摯な姿勢が貫かれた音楽論ですし、カール・リヒター賛歌でもあります。勿論、音楽的な掘り下げが深く、その解釈も文章力も優れているからこそ、読後感もまた格別でした。
広義では音楽評論に入るのでしょうが、実際にバッハの宗教曲を演奏する際の指南書の役割も果たせますし、リヒターの音楽を通して崇高なバッハの音楽の本質に迫ることができる音楽書の性格も持ち合わせています。
なによりリヒターの音楽への探求心と愛情が通奏低音のように全ての文章に流れており、読むだけでロ短調ミサの冒頭の4小節の叫び、マタイ受難曲のコラール、ヨハネ受難曲のエヴァンゲリストの歌唱が聴こえてくるような臨場感に包まれていました。
確かに、筆者自身が44ページで書かれているように、知の巨匠の吉田秀和氏が書かれた名文でバッハの音楽の素晴らしさは見知っています。それゆえ吉田氏の文章の引用も必要になってくるのですが。
圧巻は第2章の「精神性の発語─ミサ曲ロ短調/音楽の捧げもの」で展開されるリヒターの精神性へのアプローチの凄さでしょう。礒山雅氏の一文を引用しながら、野中氏の深い見識に包まれたメッセージが続きます。あのロ短調ミサの演奏を前にして「峻厳な響きに打ちのめされた人」は筆者も当方も同様です。譜例を使用しての説明は的確ですし、説得力のあるものでした。音楽史や音楽論を学ぶ学生の皆さんに是非触れて欲しいアプローチでもありますが。
カンタータの第4番の「十字架」の概念とディースカウの表現はその通りです。グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」とリヒターとの対比もまた興味深い論でした。
筆者の野中裕氏は、早稲田大学第1文学部を卒業後、東京都立高等学校で教鞭をとられるかたわら、ルネサンス・バロック音楽を専門に歌う「合唱団スコラ・カントールム」を主宰されている指揮者でもあります。
当方も多くのバッハの宗教作品を歌ってきました。本書で紹介されているヘルムート・リリング氏や皆川達夫氏の棒で歌った日々を思い起こしています。音楽が文章から伝わってくるのはリヒターの音源を聴いてきただけでなく、野中氏が実際に棒を振り、バッハの作品と向かい合う時間を取られてきたからこそ、ここまで深い解釈に辿り着いたのは自明です。
アーノンクールの功績を認めた上での74ページで書かれているブランデンブルグ協奏曲への評価もまた同感です。リヒターの南米での演奏旅行でのスペイン語が混在した受難曲のエピソード、カラヤン嫌いの宇野功芳の文章の強烈さ、リヒターによるモーツァルトのレクィエムの演奏への言及、ピリオド楽器の支持者からのリヒター評とその変化、など興味をひく内容が続き、実に読み応えがあり勉強になった労作だと評価いたします。
カール・リヒター フォト・アルバムでの13ページの貴重な写真群、詳細な註、15ページにわたるリヒターの略年譜、ディスコグラフィー、索引と丁寧な編集がなされていました。
1981年2月15日にカール・リヒターが54歳の若さで亡くなってから、ちょうど30年目に本書と出会ったのも何かの縁を感じました。バッハの音楽を生涯追い求めたリヒターの精神性の高さを越えるようなバッハ演奏は21世紀の今日まだ聴くことができていません。
本書の章立てをご参考までに掲載します。
第1章 魂の表現者 バッハとリヒター
1 バッハ演奏の“カノン”
2 ミュンヘンのカントール
第2章 バッハ解釈の礎 指揮者として
1 新しい共同体の響き─ミュンヘン・バッハ合唱団
2 「まことに、この人は神の子であった」─マタイ受難曲
3 負のドラマトゥルギー─ヨハネ受難曲
4 バッハが志向した楽器─ミュンヘン・バッハ管弦楽団
5 精神性の発語─ミサ曲ロ短調/音楽の捧げもの
6 すべては「カンタータ」のために
第3章 霊感が降りてくるとき 鍵盤楽器奏者として
1 ファンタジーレン─オルガニストの射程
2 音楽思考の構築─ゴルトベルク変奏曲
3 協働する精神、即興の領分
カール・リヒター フォト・アルバム
第4章 演奏解釈の地平 何を、いかに
1 二つの『メサイア』、二つの『マタイ』
2 三つの顔、世界を駆ける
第5章 伝説の向こう側 日本のリヒター受容
1 1969年 伝説の誕生
2 1979年 変貌
第6章 新時代への架け橋
1 リヒター再評価への視座
2 小柄な巨人
初めてリヒターの映像をみました。指揮のスタイルも古いなと思いましたが演出も時代を感じました。(当たり前ですが)「70年代だぁ」とその世界に魅了されてしまいました。
演奏はもちろんよいのですが、シュライアーがやっぱりスゴイですね。生でそばで聴きたくなります。こないだのコンサート行けばよかったと後悔しています。
先日、ヘルンスト・ヘフリガーが87歳で亡くなったという新聞記事を見ましたので、不世出のエヴァンゲリストとしての名声を彼が確立したこのリヒターのマタイを真剣に聴き通しました。生真面目な性格が伺える端正な演奏は、第1級の福音史家と言えましょうし、テノールソロでの劇的な表現力は、リヒターの持っているバッハ観に即したものだと思いました。
オルガニストとして著名だったリヒターが、かくも素晴らしい演奏を31歳の時に残したと思うと、その年代で到達したこれだけの高い精神性に驚かされますし、バッハも42歳という一番円熟した時だからこそこれだけの金字塔とも言える大作を残せたのだと思いました。
アリアとレチタティーヴォがマタイの音楽構造の中心をなすように思えますが、コラールを歌うミュンヘン・バッハ合唱団の素直な発声は、この厳しい受難曲にあって聴くものの救いとなっていますし、その美しい旋律と和声はバッハの残した多くの音楽の中でも輝いている作品群だと思います。
キート・エンゲンは豊かで威厳のある声でイエスに相応しいと思ってきましたが、感情移入する際の音程の揺れ幅が少し気になりました。もっともヘフリガー、ゼーフリート、テッパー、エンゲン、フィシャー=ディースカウ、そしてリヒターと皆30代という若い年齢でこれだけの演奏を残したという功績は忘れてはいけないと思います。
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