このCDには採用曲の他にBGMが入っています。 BGMが流れるたびにアニメのシーンがよみがえってきます。 ただ陽だまりの曲が入っていないのが唯一のマイナス点です。 でもめぞんファンにはお勧めの一枚です
映画の前半は、青春映画としてのストーリーを保ちながらも、映像は現実感を失った、静かに澄んだゆらめく世界を次々に映し出していきます。終盤になると、ストーリーとしてもファンタジーの要素が色濃くなり、非現実的な世界の純度をさらに増しながら、且つスケールの大きな展開を見せるようになります。
強い日射しにさらされる無音の街並みや、豪雨のなかの歓喜の描写のように、「静寂と轟音」「水と乾き」が互いを際だたせるように、夏の博多の街に浸透していき、やがて街全体を飲み込んでいくようです。
恋愛がもたらすときめきや喪失感も、透き通った音や映像によってしっかりと描写されています。
しかし、この映画の映し出すものは、なにかもっと違う別の事を表しているように思えてなりません。すぐに散ってしまうことを前提に咲いている、サクラを愛でるような、無常への賛美のような…。
この映像の背後というか源には、イデアへの思慕を思わせる強い厭世観があるような気がします。物語としては、ファンタジーのなかできっちり“けじめ”をつけながら、映像表現でその美しく圧倒的な世界観を全面開放させることに成功した、希有な例だと思います。
商品の説明にある通り、「夢幻的なモノクローム映像」で描かれる、ある種の不思議な美しさに満ちた世界。
原作は読んでいないが、一つの映画作品として正しく成立していると思う。
見どころは、やはり、もしかしたら連続殺人鬼かもしれない男にどうしようもなく惹かれてしまう女の子の、
揺れ動く心情と、一種の狂気にも似た激しさ、だろうか。
男は本当に殺人鬼なのか、主人公は、いつ殺されてしまうのか──。
一瞬たりとも気の抜けない緊張感をはらみつつ、静かに淡々と場面が積み重ねられてゆく。
男を演じた浅野忠信もさることながら、主人公を演じた小嶺麗奈が秀逸。
心の空虚さを抱え、それゆえにこそ、あえて冒険的な、破滅的な道へと突き進む若い女車掌を好演している。
浅野忠信も、何を考えているのか分からない男の不気味さを、うまく釀し出している。
静謐な映像美ゆえに、いっそう緊張感が高まる。
映画好きには一見の価値あり。
この映画は若い恋人の死を扱ったもので、よくあるパターンの作品だといえるかもしれない。しかし作品中に小道具として出てくるカメラや写真が、葉子という主人公の心情を効果的に表現しているように思われた。私は正直いって感動した。
葉子は写真家志望の若い女性だが、彼女は水たまりに映った風景や人物ばかり撮っている。現実を何とか自分なりに受け入れられる形に切り取ろうとしているかのようである。またカメラは一瞬を固定して永遠のイメージに変える装置である。カメラに情熱をささげる葉子は、自分のはかない命を予感して、それに永遠の形を与えたいと願っていたかのように思われる。
死を覚悟した葉子と恋人は、治療を放棄してニースにやってくる。映画の最後に、ニースの海を見つめる葉子と恋人の後姿の写真が大きく映し出される。それは自動シャーターで撮った写真であるが、ニースの海という水たまりを見つめる二人の一瞬の愛の、永遠化されたイメージともいえる。
現実の大きな世界より、水たまりのような小さな世界を好むのは、現実逃避といえるかもしれないが、そこに愛が生まれるなら許されるだろう。
葉子を演じる松下奈緒からは、はかない命の美しい透明感が感じられる。あまりにいじらしくて抱きしめたくなったほどである。ただ私は彼女のファンなので、あまり客観的な評価はできないかもしれない。
このCDはサードアルバムだが、ソロ活動を「長期休養」する前の中ではファーストアルバムに次ぐ傑作である。しかも「めぞん一刻」がらみで、コマーシャリズムではこっちの方が上だ。つまり「売れる」要素が大きい上に高い音楽性が同居しているということである。
ちなみにソロ休止中の活動は「BOX」(「V」じゃなくて「B」だよ)、「ピカデリー・サーカス」などでどれも非常に音楽性が高い。
故に、ロット数を消化したら再び廃盤・在庫切れにすることなく、直ちに再プレスすべきである。いや、もっと積極的に、メーカーは、これだけ良質の音楽が日本に存在していることを広く民に知らしめていく義務がある。
ポリドール=ユニバーサルミュージックよ、はやく再プレスしなさい!「世界になんとかのユニバーサルミュージック」って通販番組で自ら連呼してるよね。だったら、高い見識で、高い音楽性のものを広く流通させる努力をせよ!
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